『人間失格』事件
先程HDD内を整理していたら、以前に書いてそのままほったらかしになっていた書評のようなレビューのような感想文のような何かが出てきたので、せっかくだしこちらに載せてみることにします。
日付を見たら三年半ほど前のものでした。


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太宰治『人間失格』


本の裏表紙にて「まさに太宰治の自伝であり遺書であった」との記述がなされていて、その情報を頭にインプットしてからの読書でした。
まさにその記述の通り、本編では「自分」の幼少からの記憶や人生の軌跡が彼の視点から描かれてあるのです。
坦々と、かつ淡々と。

それが結果的に錯覚を起こさせた原因だろうと思います。
そして、読み進めている段階で芽生えていたはずの小さな矛盾をまったくと言っていいほど気にせず、またそのある意味とんでもない錯覚に気付くまでに随分と長い時間がかかったことに苦笑せざるを得ません。
くそう、騙しやがったな。


それまで太宰の作品には触れたことがなく、あの『走れメロス』すらも読んだ記憶が無いのかでもたぶん小学生の頃教科書か何かで読んでると思うから残ってないだけかなぁ……といった状況で、そのくせ、前述の裏表紙に記載されている「無邪気さを装って周囲をあざむいた少年時代。次々と女性と関わり、自殺未遂をくり返しながら薬物におぼれていく」という情報とインターネットなどでよく見かける個々人の太宰の印象の集大成だけで構成された、我ながら随分と偏ってんなぁと笑いたくなる「太宰治像」なるものだけは頭の中に住みついていたのでした。
あー俺と似たとこあるんだなーという簡単に言えばそういった感覚を持っていたからか、それとも当時の精神状態が無意識に危険信号を放っていたのか。
どちらにせよ、購入した去年の三月から二十数頁読んだだけで完全放置プレイ状態となっていたこの本を再び手に取り、もちろん読んだはずの二十数頁のことなど憶えているわけもないので始めから読み進め、似たような境遇にある存在だからこそ感じてしまう「同族のニオイ」とやらを感じながら、まぁ読んでいるうちにその文章から伝ってくる彼の心情にどっぷりと浸かっていくことになるのだろうなぁと思っていたら、意外にもあっさりと読み終えてしまいました。
「意外」という表現すら適切でないようなほどに意外でした。

良いか悪いかはともかく、言ってしまえば感情移入が出来ないのです、自分と似たような(もしかしたら似非かもしれませんが)ニオイを十分感じていながら。
それこそ自伝、遺書、それを拝読した。
ああこの殿方はこういう道を生きたんだな、という一言で片付いてしまうのです。

まぁ自伝という書物を読んだ記憶も無いので、もしかしたら自伝ってこういうモンなのかもとも思うのですが、それにしたって感情の入り込む刹那の隙間すらないのです。
あれだけ彼の心理描写がなされているにもかかわらず、その彼の感情を擬似的にも体感することが叶わない、ある意味恐ろしいほどです。
少しばかり大袈裟な表現をするならば歴史の勉強、小中学生時代を思い出させるあの淡々とした作業とでもいうか、あるいは新聞を読んだときの感覚に似ているかもしれません。
読み終えたときそこにあったのはもはや「本を読んだ」などという感覚ではなく、単に「過去の事例を頭に詰め込む作業をした」といったモノなのです。
人生経験の浅さからなのか、知識量の不足からなのか、単に琴線に触れなかったからなのか、そもそもそれは何を意味するのか、その判断は今の僕にはまだ不可能なのですが。


ところで、すでにお気付きの方もいるでしょうが、先述の錯覚について述べさせていただきたい。
この本編で描かれている「自分」という人物、名を大庭葉蔵と言いますが、僕はこの人物を太宰治本人であると信じて疑わずに読み進め、読み終えてから二ヶ月近くもこの錯覚に気付くことがなかったのです。
言い換えるなら、裏表紙の記述によって植え付けられた誤った先入観により、この『人間失格』を太宰の日記か何かを読むように読んでいたわけです。
ありがとうウィキペディア、あなたがいなければ僕は一生このことに気付けなかったかもしれない。


では、この作品に触れたことに意味はあったのか。
今回この『人間失格』から得られたものはそれこそ太宰治の人生の歩みであったわけですが、「人の人生を知る」ということは即ち学習に他なりません。
良し悪しは関係なく、そこから何かしらを得て、それを自分の何かしらに生かせられたならば、その作品に触れた意味はあったのです。
残念ながら「この噺おもろっ!」と感じるには至れなかったのですが、今後の表現に生かせそうであったり、なかなか面白い考えかたをするなと感じたり、そういった箇所が幾つかあったので、個人的にはこの作品に触れた意味や価値は存分にありました。
また、昭和を代表する有名な作品のひとつですし、難しい言葉や言い回しなどにも触れられますから、もっと単純に「国語の勉強」「一般教養」として読んでも良いように感じます。


時代の違いもあるでしょうし、人間各々の感じかたも様々ですので、勝手気ままにひとつ申し上げるならば。
この程度で人間失格とは、少なくとも俺は言えない。

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読み返して、すごく懐かしい心地になりました。
あのときはホントにびっくりしたのです、先入観ってのはすごいもんだなぁ。

こういったことの練習を、と思い、Booklogというサービスに登録してあれこれ書いてみる予定だったのですが、気がつけば「気になる本リスト」みたいな感じになってますね最近。
こちらも、時間と体力の隙間を見つけて、またやっていきたいなぁと思っています。
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